はじめに 感覚の技術が、データに出会う
マテリアルズ・インフォマティクス(以下MI)は、
材料開発の世界で「勘と経験の科学化」を進める手法として注目を集めています。
AIと統計学を組み合わせ、膨大な実験データから最適条件を推定する。
半導体、電池、合金──その応用分野は日々広がり、研究者の間では
「第4の材料革命」とも呼ばれています。
しかし、そのMIとて、万能ではありません。
その攻略対象は、美濃焼。
1000年以上の歴史を持つ、土と炎と水の芸術表象です。
その製法は精緻なロジックよりも、肌感覚の積層で支えられてきました。
第1章. 交絡要因という迷路
陶磁器づくりの世界では、変数があまりにも多いのです。
原料となる土の粒径、鉱物比、水分量。
成形時の圧力、乾燥時間、焼成温度、窯内の酸化・還元雰囲気。
窯内の配置する位置、焼成環境も一定条件は満たすでしょうが、再現しているとは言えません。
その結果、どれかを一つ変えるだけで、色も、艶も、音も変わります。
MIの基本原理は「入力(条件)と出力(性質)」の関係を学習し、
因果構造を明らかにすることにあります。
しかし美濃焼では、その入力が一切定常ではありません。
同じ粘土鉱山でも、採取する層によって鉄分が微妙に異なり、
湿度や天候が変われば乾燥速度も変わります。
つまり、交絡要因(confounders)が無数と呼べるレベルで存在します。
そしてその多くは、現場の職人が身体で補正してきた領域です。
「今日は水を多く吸っている」「この土はやや重い」──
言葉にならない感覚が、最終の品質を決定してきました。
MIの計算モデルにとって、これは悪夢のような世界です。
入力の揺らぎを正確に記録できず、再現性のある実験設計ができません。
AIが学習しようとしても、教師データのゆらぎが教師そのものより大きいのです。
そのため、「どの要因がどの結果に効いているか」を抽出するには、
従来の機械学習手法だけでは限界があります。
MIの書籍を読んでみたものの、とりあえず素人である私には全く思いつきませんでした。
第2章. 職人の余白をどう扱うか
興味深いのは、職人にとって余白は必ずしも悪ではないという点です。
焼きムラ、色の揺らぎ、偶然生じる釉薬の流れ。
それらは欠陥ではなく、美のゆらぎとして受け入れられてきました。
一方でMIにおいては、余白は誤差そのものであり、できるだけ排除されるべきものです。
最適化とは、ばらつきを削り、再現性を最大化する営みだからです。
つまり、MIと伝統工芸は真逆の哲学を持っています。
この対立を乗り越える鍵は、「誤差の中に情報を見出す視点」です。
誤差をノイズではなく、高次元の特徴空間として扱うのがよい気がします。
たとえば、わずかな焼成温度の違いが生む色調変化を多次元データとしてモデル化すれば、
偶然の美をデータの中で再現できるかもしれません。
(何次元のデータになるんだろうか...?)
美濃焼のような非線形で感性的なものづくりにAIを適用するためには、MIが「均質化の技術」から「多様性の解析技術」へ進化するしかないのかもしれません。
第3章 実験設計案 ─ 美濃焼をデータで理解するために
マテリアルズ・インフォマティクス(MI)が美濃焼に挑むとき、
課題は精密化ではなく複雑性の受け入れ方にありそうです。
精度を高めるための管理ではなく、不確実性を定義し、ゆらぎをまだ制動して観測可能な形にするための設計のほうが現実的に思えます。
MIを導入する目的は、職人の感覚を置き換えることではありません。
むしろ、感覚の背後にある変数構造を明らかにすることです。
たとえば「今日は土が重い」と職人が感じるとき、
その背景には、水分率、粒径分布、粘土鉱物の比率、湿度、圧力など、
数多くの物理的要因が関係しています。
MIは、こうした要因を整理して
「感覚と現象のあいだに一本の橋をかける」ことを目指します。
つまり、職人の勘を排除するのではなく、
その勘がどの物理的変化を捉えているのかを見える化することが目的です。
職人の身体知を尊重したうえで、その知が依って立つ構造を
科学の言葉で再構成しようとする試みなのです。
ただ、実際の美濃焼の製造工程には、数えきれないほどの交絡要因が存在します。
原料の粒径分布、鉄分濃度、水分量、乾燥速度、焼成温度など、
どの要因も互いに影響し合い、単一の原因を特定することはほとんど不可能です。
同じ条件で焼いても、日によって仕上がりの色が変わることがあります。
それは単なる誤差ではなく、自然との共鳴の結果です。
MIがこの領域に踏み込むとき、従来の「統制された実験」という前提は通用しません。
そのため、多因子かつ階層的なアプローチが必要になります。
特定の変数を固定し、他の変数を体系的に変化させて観測を繰り返します。
さらに、階層ベイズモデルを用いて「職人」「季節」「窯」などの影響を
階層ごとに分離・補正しなければならないでしょう。
ここまでしても、複雑な交絡の中からゆらぎの秩序を本当に少しずつ浮かび上がらせることができるにすぎません。
感性が依拠している物理的な特徴を観測するには、手法そのものは存在します。
・原料 鉱物成分、粒径、含水率 (分光分析、粒度分布計)
・成形 圧力、厚み、変形率 (圧力センサー、3Dスキャナ)
・焼成 温度曲線、酸化還元比 (熱電対、ガスセンサー)
・外観 色相、反射率、艶 (スペクトルカメラ、画像解析)
・感覚 触感、音響、職人評価 (タクタイルセンサー、FFT解析、官能評価)
AIモデルには、これらのデータと職人による評価スコアを同時に入力すれば、ランダムフォレスト等を用いることで、どの要因がどの感覚に寄与しているかを抽出することはできるでしょう。
そのうえで、AIが示した結果と職人の感覚を突き合わせ、差異が生じる箇所を分析します。
このズレこそが、人間の勘が働く領域の可視化なのですが、差異をすり合わせるのがなんとも難しそうですね...。
ただし、このサイクルを繰り返すことで、AIは人間の言葉にならない知を学び、
人間はAIの数理的な直感を理解していきます。
こうして、伝統的な技術体系そのものが人とAIの協働によって進化する知識循環構造へと変化していきます。
AIは人間の代わりに感じることはできません。
しかし、人間が感じてきた世界の構造を観測し、その感性を未来に残すことはできます。
美濃焼に挑むMIの実験とは、科学が芸術の領域に一歩踏み込む行為そのものでしょう。
おわりに ─ 不確実性を抱きしめる科学へ
AIと伝統が出会う場所には、常に「不確実性」があります。
しかし、そこにこそ未来の創造性が宿ります。
マテリアルズ・インフォマティクスが挑むのは、データで管理できない世界を、データの言葉で語る試みです。
美濃焼のような曖昧で、気まぐれで、愛すべきプロセスを科学はどのように包み込むのでしょう。
高品質テキストデータは2026年頃に枯渇する見込みとも言われている一方で、ものづくりの非言語化データはまだまだ日本中に眠っています。
それは、AI時代における「ものづくり」の哲学を問う実験でもあるでしょう。

