こんにちは!
1級FP技能士のアシまるくんです。

第0章『クリスマスに響き渡るサックスの音色』

先日、サックスアンサンブルコンサートを鑑賞してきました。プロが奏でるサックスアンサンブルが素晴らしいことはもちろんのこと、"コンサートホール"を冠する会場の造りがその音を豊かに響かせていました。お正月の"格付けチェック"で毎年、AとBで音の違いが全く分からんことに定評のある3流の耳を持つ私ですらも、サックスの音色の豊かさを存分に感じることができ、音に感動する(*1)という体験をおそらく生まれて初めてしました。

より良い音を奏でるために精巧に造られた楽器と素晴らしい音色を奏でるために人生の大半をその練習に注ぎ込んだプロ奏者によるハーモニーが、私が聴いたことのない豊かな旋律を生み出し、私に感動をもたらしたものと思います。

そんな人間のすばらしさが生み出した感動ですが、はたしてAIが生み出したものに我々が感動する未来が来るのでしょうか?

(*1)私は音楽を聴くときは、曲より詞に着目します。詞をかみしめながらメロディーに感動することは多くても、曲だけのクラシックコンサートに感動する経験は皆無に等しいです。


第1章『アシカ 技術に感動』

人はどんな時に感動するのでしょうか?一般条件のようなものを見つけることはとても難しいと思いますが、"予想や期待を大きく超えたとき"というのは感動が生まれる余地があるのかな、と思います。

そう例えば、"はじめてのおつかいで小さな子供が頑張っているとき"、"言葉で言い表せないような壮大な自然の景色を観たとき"、"まだまだ子供だと思ってた娘の結婚式で感謝の手紙を読み上げられたとき"、"どんなに困難でくじけそうでも信じることを決してやめない主人公の物語を観たとき"、"人類が初めて月面への一歩を繰り出したとき"、こういった不可能が可能になった瞬間、想像を超えるものを目の当たりにした瞬間に感動は生まれます。

月面への一歩がよい例ですが、人間が"技術の進歩"に感動するということは起こりえると思います。やや感心にも近いですが、こんなにすごいことができるんだ!という感動ですね。街中のイルミネーションを見て涙するほど感動する人はそうそういないかもしれませんが、ディズニーランドのシンデレラ城へのプロジェクションマッピング(*2)を見て、涙を流す方はいらっしゃるかもしれません。そういった意味では、AIは可能性の固まりでしかないので、そのイノベーションが感動をもたらすことは十分に考えられます。

一方で、"AIってすごい!"というのがあまりにも一般化しすぎると、感動の矮小化にもつながります。はじめてのおつかいも、小さな子どもがおつかいに行くからその道中に感動が生まれるわけで、中学生がはじめてのおつかいに行ったところで、それが彼・彼女にとって本当に人生初のおつかいだったとしても、別に感動は生まれません。"中学生なんだから当然におつかいくらいは行けるだろう"と大半の方は思うわけなので、期待も予想も全く超えてこず、感動の余地もありません。

同じように、AIのすごさがあまりにも身近になりすぎると、たとえどんなに画期的な技術革新があったとしても、"でもAIならそのくらいできるんじゃない?"という冷めた大人の心が我々の中に棲みつくようになり、めっちゃすごいのに全然感動しない、なんてことが起こりうるわけです。

(*2)私は初めて見たときに結構な衝撃を受けました。涙を流すほどではないですが、技術力に感銘を受けたことを覚えています。


第2章『語れ!心!』

感動を語るうえで、"心がこもっている"という概念は切り離せないように思います。ライブに行けば歌手の思いがつまった1曲に感動するかもしれないし、結婚式で新郎の素人丸出しの下手な弾き語りでもすごく練習した跡が見えてそこに心を感じて感動するかもしれないし、芸術家が魂のメッセージを込めた強い筆さばきを絵画から感じて涙を流すかもしれません。でも、実際に心がこもっていることと心がこもっていると感じることは残念ながら別問題なんですよね。

思いのたけを情熱込めて取り組んでいる姿を、"あいつ暑苦しいな"なんて冷ややかな視線を送るという価値観だって、当然に存在し、そちらの価値観も尊重されるべきです。

仕事上の苦手な後輩と仲良くなりたくて、情熱込めて一生懸命おにぎり握って、"これ食べてよ"なんて小さなおにぎりを手渡したら、おにぎりハラスメント、通称"おにハラ"だ、なんて訴えられるかもしれない(*3)です。喜んでくれると思って一生懸命に小籠包を作って持っていったとしても、いざその場になってみると"そもそも人の手料理がどうも苦手で食べられないんだよ"なんていう価値観の方だっています。

逆のパターンもあります。人間、何もないところに意味を見出そうとする傾向があるので、勝手に心を見つけ出す場合だってあるかもしれません。

われわれ人間は不完全なので、AI技術が進歩し続ける限り、そして人間に近づき続ける限り、AIが我々の想像をはるかに超える大作を生み出す可能性はどれだけでもあります。そして、技術そのもので感動させることがあるかもしれませんし、もしそれが芸術作品である場合は我々が勝手にそこに心を見出し感動の涙を流すかもしれません。

"AI泣き"、今世で一度くらいしてみたいなあ。

(*3)現在TBS系列で放送中のドラマ、『じゃあ、あんたが作ってみろよ』のシーンからです。竹内涼真演じる"勝男"がとにかく暑苦しくて私はとても好きです。ちょうど明日12/9が最終回ですね。楽しみにしています笑、やっぱりTBSの火曜10時枠は面白いのが多い。