はじめに

文章を読むという行為は、
外見ほど単純ではありません。

文字を拾い、語をつなぎ、意味を得る。
表面的にはそのように見えますが、
実際には複数の処理が同時進行し、
それらがわずかに乱れるだけで読みづらさが生じます。

認知科学の視点で読みづらさを眺めると、
それは書き手のエラーではなく、
読む側の脳内で起きる「処理の破れ」に近いものです。

この記事では、
認知の情報処理モデルをベースに、
読みづらさの構造を四つの層に分けて考えていきます。

第1章    知覚レベルの処理:文字列が言語になるまで

文章を読む最初の段階は、
視覚的な入力を言語の単位に変換する「知覚処理」です。

認知科学では、これを 低レベル言語処理と呼びます。

ここでは以下の処理が走っています。
・形としての文字の認識
・語彙の境界の推定
・品詞をざっくり予測
・文の表面構造の下書き

この段階での読みづらさは、
主に「形の予測」が外れることで生じます。

例:語順がわずかに不自然な文

視覚としては読めますし、意味もわかります。しかし、
脳内の言語モデルが予測した語順と合わず引っかかりが生まれるのです。

これは、視覚 → 言語形式 への変換がスムーズに走らないために発生する現象です。

第2章    予測レベルの処理:次の語を先読みする脳

人間の脳は、文章を読むときに
常に 次に来る語句を予測 しています。
これは 予測処理 と呼ばる仕組みです。

予測処理は、
・統語的予測(どんな構文が続くか)
・意味的予測(話題は何か)
・語彙的予測(どんな語が出るか)
といった複数のレイヤで成立します。

読みづらさは、多くの場合、
予測と実際の入力のズレによって生じます。

読み手は、理解できないのではなく、
ズレた予測を補正するために余分な処理を行い、
結果として「読みにくい」と感じるのです。

とはいえ、日常生活を送るうえでは、どこかで見た言葉を模倣し、なんとなく言語を記載するだけで案外よかったりもするのですが。

第3章    統合レベルの処理:意味は一文ごとに生まれているわけではない

文章理解は、一文単位では完結しません。
人間の理解は ワーキングメモリ(作業記憶)の中で統合されながら進みます。

ここで働くのが統合処理です。
統合処理の要素としては、

・主語の維持
・話題の連続性
・文章間の因果関係
・心理的焦点の連続性
が挙げられます。

以前別の記事で紹介したゾンビ文やゴースト文は、
まさにこの統合処理で破れを生じさせます。

ゾンビ文:主語と述語の統合が失敗する

文法上は成立しているが、
意味の主導権が途中で入れ替わることで、
統合が崩れます。

ゴースト文:主体が消える

述語が導くべき主体が途中で失われ、
脳内で像が結ばれない。

以前の記事



いずれも「意味がわからない」わけではなく、
理解のための処理コストが跳ね上がるということです。

第4章    再解釈レベルの処理:意味は一度で終わらない

最終段階は、理解した内容を文脈や目的に合わせて再評価する
再解釈処理です。

人間は文章を読みながら、
・この文の意図は何か
・書き手はどこを見ているか
・文章全体の目的は何か
といったメタ的な情報を付与します。

再解釈処理は認知的に重い作業で、
読みづらさが蓄積した文章では
この段階の負荷が非常に高くなります。

読みづらい文が連続すると、だんだんと読解疲労が発生していきます。

一見内容は理解できているのに、読む気力が奪われるような感覚です。

これは、再解釈処理の容量が統合処理の破れを埋めるために使われてしまうことが原因です。

では、AIはどこまでこのモデルに到達しているのでしょうか?

AIの言語モデルは、上記の四層のうち、主に 知覚・予測は扱えそうです。
過去の膨大なデータから、パターン抽出すればいけるでしょう。
部分統合 の領域は、地道に覚えさせていけば扱えるかもしれませんが、個人的にはまだまだ課題が多いように感じます。

そして、以下の部分のような再解釈処理については、AIはまだ卸しきれていないといえるでしょう。

①心理的焦点の連続性
    書き手が何を重要視しているかという、非言語的な流れ。

②統合の温度
    どこが主張の核で、どこが余白かを判断する力。

③再解釈の動機づけ
    読み手がその文をどう評価するかという、目的依存の理解。

④理解の速度の揺らぎ
    人間が文章を時間として理解する働き。

AIは文章を「情報の集合体」として読みますが、
人間は文章を「意味の流れ」として読みます。

この差が、読みづらさの検出における
AIと人間の最も大きな分岐点になるかと思います。

おわりに

読みづらさは、
言語そのものではなく、
認知の処理過程で生まれる現象です。

知覚、予測、統合、再解釈。
どれか一つでも揺らぐと、
文章は読めるのに、何か入ってこない状態になります。

AIはこのうち半分程度は扱えます。
しかし、読みやすさの「質」や「速度」、
焦点の揺らぎ、心理的な同調といった領域は、
まだ人間特有の認知モデルに依存しています。

文章とは、脳の内部で逐次的に生成される意味の流れであり、
読みづらさとは、その流れが小さく滞留する現象です。

もしAIがこの滞留の感触まで扱えるようになったとき、
初めて「読むとは何か」の全体像が
機械の側からも見えてくるのかもしれません。