はじめに

自然界には、奇妙な固定行動があります。
寄生されたアリが、死ぬ直前まで葉や茎を噛み続ける現象。
いわゆる「デスグリップ」です。

この行動は、アリの意思ではありません。
神経系を書き換えられ、離すという選択肢そのものが消える状態です。

私はこれを見たとき、
人が動画を延々と見続ける姿と、どこか重なって見えました。

本稿では、
報酬系によって再現される人間版デスグリップについて整理します。

第1章    デスグリップとは「快楽」ではなく「終了条件の喪失」である

デスグリップという現象は、しばしば強烈な快楽や異常な興奮の結果だと誤解されます。
しかし、寄生されたアリの行動を冷静に見ると、そこにあるのは快楽ではありません。

アリは、気持ちよさそうに葉を噛んでいるわけではない。
むしろ、噛むという行動を終えるための神経的な条件が失われている状態です。

本来、行動には必ず終点があります。
疲労、満足、危険、空腹、環境変化。
これらが「もうやめる」という判断を発火させます。

デスグリップでは、その回路が切断されます。
噛み始めることはできるのですが、離す理由が生成されないのです。

ここで重要なのは、
行動が「自発的に続いている」のではなく、
終了を判断する機構が沈黙している点です。

人間の動画視聴にも、同じ構造が見られます。

楽しいから続けている、という感覚は残っています。
しかし実際には、

・満足した瞬間が曖昧
・「十分見た」という基準がない
・止めたあとの行動が設計されていない

こうした状態が重なり、
視聴は選択ではなく惰性になります。

人は動画を「選び続けている」つもりで、
実際には「終われない状態」に入っている。

これが、人間版デスグリップの正体です。

第2章    報酬系は「気持ちよさ」より「次の予測」に縛られる

脳の報酬系は、単純な快楽装置ではありません。
それはむしろ、未来を予測するためのエンジンです。

ドーパミンは、
「気持ちよかったとき」よりも、
「予測が裏切られたとき」に強く分泌されます。

・思ったより面白かった
・予想と違う展開だった
・当たりか外れか分からない

このズレ、つまり予測誤差が、
報酬系を最も強く刺激します。

動画コンテンツは、この性質と非常に相性が良い。

再生前には中身が完全には分からない。
サムネイルは期待を煽り、内容は微妙に外す。
面白さは一定ではなく、ばらつきがある。

結果として、脳はこう振る舞います。

「今の動画が良かったかどうか」ではなく、
「次はどうなるか」を知りたがる。

ここで報酬は、満足の印ではなく、
次の試行を回すための燃料に変わります。

この構造に入ると、
「もう十分だ」という判断は後景に退きます。

重要なのは、
報酬が弱くてもループは回る、という点です。

強烈に面白くなくてもいい。
少しだけ可能性があれば、再生は続く。

これは快楽依存ではありません。
予測依存です。

人は、楽しさに引っ張られているのではなく、
次の予測を解消したくて指を動かしている。

この状態が続くと、
動画は報酬ではなく、
思考を止めるための装置に近づいていきます。

そして、気づかないうちに、
離す理由だけが見当たらなくなる。

それが、報酬系によって再現されるデスグリップです。

第3章    「見たい」はどこで「離せない」に変わるのか

動画視聴が問題になる瞬間は、
「面白いかどうか」では決まりません。

転換点は、
視聴の目的が消える瞬間にあります。

人は本来、何かを見終えたあとに、
次の行動へ移る準備をします。

・情報を得た
・気分転換になった
・暇つぶしとして十分だった

こうした内的な区切りが、
行動の終了条件になります。

ところが、予測誤差ループに入ると、
この終了条件が生成されなくなります。

面白かったかどうかを評価する前に、
次の刺激が差し出されるからです。

評価が完了する前に、次が始まる。
判断が閉じる前に、選択が要求される。

この連鎖が続くと、
人は「見ている」状態から、
流されている状態へと移行します。

ここで重要なのは、
本人の主観では自由が残っている点です。

選んでいる感覚はある。
止めようと思えば止められる気もする。

しかし実際には、
止めるための判断材料が、
内部に蓄積されていません。

疲労も、満足も、達成感も、
どれも十分に言語化されないまま、
次の動画で上書きされていきます。

結果として、

・「もういい」という感覚が育たない
・「今は何をしているのか」が曖昧になる
・終わったあとに理由が残らない

という状態が定着します。

これは意志の弱さではありません。
判断を終える時間が奪われているだけです。

「見たい」が「離せない」に変わるのは、
欲求が強まったからではなく、
終了の設計が抜け落ちたからです。

第4章    AI推薦は「報酬」を最適化していない

AI推薦は、しばしば
「人を中毒にする装置」として語られます。

しかし、より正確に言えば、
AIは快楽を最大化しているわけではありません。

最適化しているのは、
行動の継続確率です。

AIにとって重要なのは、
人が満足したかどうかではなく、
次の一手が発生するかどうかです。

そのため、推薦は次のように設計されます。

・今より少しだけ刺激が強い
・確信はないが、外れきらない
・前回と似ているが、完全には同じでない

この「微差」が、予測誤差を生み続けます。

結果として、人は
満足のピークに到達しません。

ピークに到達すると、
行動は自然に終わってしまうからです。

AI推薦が作るのは、
気持ちよさの山ではなく、
下り坂のない丘です。

歩き続けられるが、
到達点はない。

さらに問題なのは、
この構造が本人の自覚と切り離されている点です。

人は、
「自分が何を求めているか」を
AIに委ねている意識を持ちません。

ただ「流れがいい」と感じるだけです。

しかし、その流れは、
終了条件を消す方向に最適化されています。

止まらないのではない。
止まる理由が供給されない。

ここでAIは、
人の意志を奪っているのではありません。

人の判断が閉じる前に、
次の選択肢を差し出し続けているだけです。

だからこそ、
この問題は「AIを賢くする」ことでは解決しません。

必要なのは、
行動の途中に終わりを差し込む設計です。

・一定時間ごとに評価を挟む
・目的を再確認させる
・次にやるべき行動を明示する

こうした介入は、
人を縛るためではなく、
判断を取り戻すための装置です。

デスグリップを解く鍵は、
快楽を減らすことではありません。

終わる自由を、再設計することです。

おわりに

人間におけるデスグリップは、
強い快楽の象徴ではありません。

むしろ、
選択肢が奪われた静かな拘束です。

人間が動画を見続けるとき、
それは欲望というより、報酬系の惰性かもしれません。

重要なのは、
「見るな」と言うことではありません。

・いつ終わるか
・なぜ今見ているか
・離す理由を自分で持てているか

この問いが残っている限り、
人はまだ葉を噛み切っていません。

報酬系が再現するデスグリップに対抗できるのは、
意志の強さではなく、終了条件を設計する力なのだと思います。