はじめに

この文章は5月27日に行われたCDLE大阪の交流会でのお話を元に、私自身が理解し、感じたことをまとめたブログになります。ほとんどの文章をChatGPTを利用して生成しておりますので、Hallucinationが発生している可能性があります。明らかな間違いに関しては、ご指摘いただければと思います。

データ駆動社会における説明性

パラダイムシフトという言葉があります。パラダイムシフトとは、科学や技術、思想、社会のあり方などの分野において、従来の枠組みやパターンからの転換を指す概念です。新たな視点や理論、技術の出現によって、社会全体の価値観や行動パターンが大きく変化することを意味します。

人間の社会生活を変えたいくつかのパラダイムシフトを古いものから順に紹介します。

まずは「農耕革命」が起こりました。狩猟採集社会から農耕社会への移行は、人類史上最初の大規模なパラダイムシフトとされています。農業の発展により、人々は定住生活を始め、食糧生産の安定化や社会の階層化が生じました。

次に「産業革命」です。18世紀のイギリスにおける産業革命は、人間の生活と経済システムに革命的な変化をもたらしました。蒸気機関や機械化によって、農業から工業への移行が進み、生産力が飛躍的に向上しました。

「情報革命」 についても語らなくてはならないでしょう。20世紀後半から21世紀にかけての情報技術の急速な進歩は、人間の社会生活に大きな変化をもたらしました。コンピュータやインターネットの普及により、情報の取得、共有、処理の方法が劇的に変わりました。

さらに時代が進むと「デジタル革命」 へと発展しました。デジタル技術の発展によって、デジタルデバイスやネットワークが人々の生活に浸透しました。スマートフォンやソーシャルメディアの登場により、コミュニケーションや情報アクセスが容易になり、社会のつながり方や情報の共有方法が変化しました。

そして現代になります。「生成系AIの進化」は人間社会に対して正にパラダイムシフトと言える変化をもたらしています。我々の社会と生活を根本的に変え、効率性と便利さが飛躍的に向上していると言えるでしょう。

さて、その次のパラダイムシフトは何でしょうか?
この問いに対する答えを探るために、まず現在のAIの状況を理解することが重要です。


現在、我々はデータ駆動の社会に生きています。データ駆動(Data-driven)とは、情報や洞察を得るためにデータを中心に活用する考え方です。現代社会では、様々な活動や意思決定がデータに基づいて行われるようになりました。データ駆動の利点は、客観性と事実に基づいた意思決定や問題解決が可能となることです。データに基づく分析は主観的な意見や予測に依存せず、客観的な根拠を提供します。また、データ駆動のアプローチでは、大量のデータを利用することでより正確な予測や傾向の把握が可能になります。

AIの進化は、データ駆動の社会をさらに加速し、深層学習(DL)のような技術により、人間が理解できないほど大量かつ複雑なデータを扱って推論、意思決定を行うことが可能になりました。

しかし、深層学習(DL)はその性質上、内部の動作を直接的に説明することが困難であるとされています。これは、高次元のデータを扱い、複雑な非線形変換を行うため、その過程が人間の直感的理解を超えているためです。つまり、データ駆動における意思決定を行う場合、そのプロセスが説明不可能となり、何が起こっているのかを言語化することが非常に難しいという問題が発生します。

また、深層学習(DL)は言語を学習することで現実についての理解を深めることができますが、それはあくまで現実を「表現」するものであり、現実そのものではありません。言語は現実を介していますが、それ自体が現実そのものではないということなのです。

その中で、人間が理解できなくても、それを使えばいいのではないか、という考え方も出てきています。本当にそうなのでしょうか?

データから情報、そして知識へ

現在のAIの技術では、データサイエンスの領域を用いてデータを情報として扱う事が可能です。しかし、その情報を言語として完全に理解することはまだ困難であるとされています。これは、言語の理解には文脈や文化的な背景など、単なるデータ以上のものが必要だからです。これは知識と呼ばれるものです。そして、情報から知識を得る部分は、今のところ人間が行っていると言えます。

私たちは、現象や結果から推論する能力を持っています。この推論は、外部の観察者にとっては意味が分からないようなものにも適用できます。しかし、この推論には間違った結論を導くリスクも含まれています。つまり、特定の状況に依存した推論や有効期限のある推論など、状況によって使えるかどうかが異なるものも存在するのです。

人間社会において推論を行う場合、一般的に三段論法というものを使用します。三段論法は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって提唱された論理学の原理です。

三段論法は、2つの前提文と1つの結論文から構成されます。一般的な形式は以下のようになります。

1.全てのAはBである(前提文)
2.XはAである(前提文)
3.従って、XはBである(結論文)


この形式では、まず最初の前提文でAとBの関係が示されます。次に、2つ目の前提文でXがAであるとされます。最後に、結論文ではXがBであると結論づけられます。

人間社会において、三段論法は論理的な思考や議論において一般的な知識の使い方となっています。例えば、法廷の証拠提出や政治の議論、学術研究などでよく使用されます。また、日常生活でも、意見や主張を論理的に展開する際に用いられることがあります。

三段論法は論理的な一貫性と推論の正確さを提供するため、意見や主張を論理的に根拠づけるための強力なツールとなっています。この形式を用いることで、情報の整理や議論の構築に役立ち、混乱や曖昧さを排除し、より効果的なコミュニケーションを可能にします。

ただし、三段論法はすべての議論や推論の場面で適用できるわけではありません。三段論法は、一般的な推論パターンを表現するための有用なツールですが、その完全性にはいくつかの制約があります。以下に、三段論法の不完全さに関する説明をいくつか挙げます。

ひとつめは、「前提の真実性」という問題です。三段論法では、前提文が真であることが前提されています。しかし、実際の世界では前提が真であるかどうかは常に確実ではありません。もし前提文が誤っていたり、偽の情報を含んでいたりする場合、三段論法による結論も誤っている可能性があります。

ふたつめは、「情報の欠如」という問題です。 三段論法は与えられた前提文に基づいて推論を行いますが、時には必要な情報が欠けていることがあります。三段論法が正確な結論を導くためには、適切な前提文が提供されている必要があります。もし重要な情報が欠落していたり、推論に必要な関連情報が不足している場合、結論は不完全または誤っている可能性があります。

みっつめは「論理的な形式に固執する傾向」という問題です。 三段論法は特定の論理的な形式に従うため、一部の複雑な推論パターンを表現するのには適していません。現実の問題はしばしば複雑で多面的であり、単純な三段論法だけではその全体を捉えきれない場合があります。このような場合、他の論理的なツールや思考法を組み合わせる必要があります。

よっつめは「証拠や経験の重要性」という問題です。三段論法は論理的な推論を行うためのツールですが、証拠や経験を考慮しない場合には限定的です。現実の世界では、推論において経験や証拠を重視する必要があります。三段論法は論理的な結論を導く手段ではありますが、それだけでは十分ではない場合があります。

このような推論を行うために、私たちは知識を活用します。これは知識工学と呼ばれています。

知識工学は、コンピュータやシステムが知識を表現・処理する方法についての学問領域です。知識工学は、知識ベースシステムやエキスパートシステムなどの人工知能アプリケーションの開発において重要な役割を果たしていました。また、三段論法は論理学の原理であり、一般的な推論パターンを表現するためのツールです。知識工学では、三段論法を含む論理的な推論手法を利用して、システムやアプリケーションが知識を処理することがあります。具体的には、知識工学では知識ベースと呼ばれるデータ構造を使用して知識を表現します。知識ベースは、事実やルール、推論パターンなどの知識を記述し、システムがその知識を利用して問題解決や意思決定を行います。

三段論法は、この知識ベース内での推論パターンの一部として使用されることがあります。知識ベース内のルールや規則は、三段論法の形式に従って構築され、推論エンジンがこれらのルールを使用して新たな情報や結論を導き出すことができます。これにより、システムが与えられた情報に基づいて論理的に推論し、意思決定を行うことが可能となります。さらに、知識工学では三段論法以外の論理的な手法や形式も使用されます。例えば、述語論理や制約論理などが知識工学において広く活用されています。これらの論理的な手法は、より複雑な推論や知識の表現に適している場合もあります。

知識工学は、論理的な推論手法を基盤として、知識ベースシステムやエキスパートシステムなどの開発を行います。三段論法はその中の一つの推論手法であり、知識工学の領域において論理的な知識表現と推論の基礎として重要な役割を果たしています。

しかしながら、その知識より推論を行うためのメンテナンスには、人間の能力だけでは追いつかない場合があります。なぜなら、知識は人間の手に負えないほど幅広く、そして、世の中は絶えず変化していて、知識も変化し続けるからです。

このような状況を踏まえると、次のパラダイムシフトは、情報から知識への変換をより効率的に行う技術の開発にあるかもしれません。

推論における言語化への取り組み

このように、AIで推論を行うには、言語化という問題を抱えており、その推論の結果を人間が理解することは難しく、AIの意思決定や推論の根拠を説明することも困難でした。そして、その説明性という問題に対して、AIの言語化に取り組まれてきました。

まず、重みづけやベクトル化による言語化について取り組まれました。これは、自然言語処理のタスクにおいて一般的に使用される手法です。これらの手法は、テキストデータを数値のベクトル表現に変換することで、コンピュータが理解しやすくすることを目的としています。ただし、下記のような問題があり、説明性の精度が上がらない場合があります。

まず、「情報の欠落」という問題があります。これは三段論法においてもありました。テキストデータを数値ベクトルに変換する際、情報の一部が欠落する可能性があります。テキストには多くのニュアンスや文脈が含まれており、それらを完全に数値化することは難しいです。そのため、一部の情報が失われたり、説明力の低下が生じることがあります。

次に「意味の曖昧さ」という問題もあげられます。自然言語には多義性や曖昧さが存在します。単語やフレーズの意味は文脈によって変化する場合があります。重みづけやベクトル化による手法では、このような意味の曖昧さを完全に解決することは難しいです。したがって、説明性の精度が低下する可能性があります。

さらに「ノイズやエラーの影響」という問題も考えられます。テキストデータにはノイズやエラーが含まれることがあります。文章の誤字や文法の誤り、スペリングの間違いなどがある場合、重みづけやベクトル化による手法はそれらの情報を正確に反映することができません。その結果、説明性の精度が低下する可能性があります。

最後に「複雑な関係の表現」が難しいという問題もあります。テキストデータには複雑な関係や文脈が含まれることがあります。例えば、長い文の中での情報の共有や、異なる文脈間での関連性の把握などが挙げられます。重みづけやベクトル化による手法では、これらの複雑な関係を完全に表現することは困難です。そのため、説明性の精度が制限されることがあります。

これらの理由により、重みづけやベクトル化による言語化手法の説明性の精度が上がらないということが多々発生しました。

セマンティックネットワークと呼ばれる手法も取り組まれました。

セマンティックネットワークは、知識や情報を概念や関係のグラフ構造で表現するためのモデルです。このモデルでは、ノード(nodes)と呼ばれる要素と、ノード間の関連性を示すリンク(links)で構成されます。

セマンティックネットワークでは、概念や事実をノードとして表現します。ノードは、例えば「犬」や「ネコ」といった具体的なオブジェクトや、「動物」といった抽象的な概念を表すことができます。また、ノードには属性や特性を関連付けることもできます。例えば、「犬」ノードには「毛色」や「サイズ」といった属性を関連付けることができます。ノード間の関連性は、リンクによって表現されます。リンクはノード間の関係を示し、例えば「犬」ノードと「鳴く」ノードの間には「鳴くことができる」という関係を表すリンクを持つことができます。これにより、セマンティックネットワークでは概念の関係や意味的なつながりを表現することができます。

セマンティックネットワークの利点の一つは、知識の推論や検索が容易であることです。例えば、「犬」ノードと「鳴くことができる」ノードの間にリンクが存在する場合、セマンティックネットワークは「犬は鳴くことができる」という事実を推論することができます。また、セマンティックネットワークは複数のリンクやノードを経由して関連性を辿ることも可能であり、複雑な知識や推論を表現することができます。

セマンティックネットワークは、自然言語処理や人工知能の研究分野で広く利用されてきました。しかし、一部の課題においては限定的な面もあります。例えば、複雑な文脈や関係性の表現には限界があり、曖昧な表現や文脈に依存する意味理解には苦労することがあります。また、大規模で多様な知識ベースの構築や、リアルタイムの更新には課題があります。知識ベースが不完全であったり、更新が遅れている場合、セマンティックネットワークの精度や実用性が制限される可能性があります。
さらに、セマンティックネットワークはモデルの制約も持っています。ノードやリンクの数に制限がある場合、大規模な知識の表現に制約が生じることがあります。また、セマンティックネットワークが推論や推論の過程を行う場合、それに適したアルゴリズムやモデルの選択が重要です。特に複雑な推論や推論の効率性を追求する場合、適切なモデルの選択や改良が必要となります。

このような背景があり、セマンティックネットワークは成果をあげられませんでした。

Transformerの登場

そして、深層学習(DL)が登場すると、それらによる取り組みが積極的に行われるようになりました。深層学習は、特に識別タスクに優れています。これは、特定の入力がどのカテゴリに属するかを判断する能力を指します。しかし、かつてのニューラルネットワークや、深層学習は構造化されているデータも、そうでないデータも同様にフラットな形で扱っており、これは、データの内部構造や関連性を考慮しないため、言語化における精度の向上に限界がありました。

そして、言語化AIモデルは、再帰的または畳み込みニューラルネットワークという技術に依存するようになります。これらのモデルはエンコーダとデコーダという2つの部分から成り立っています。エンコーダは入力データを内部的な表現に変換し、デコーダはその内部表現を目的の出力に変換します。

再帰的ニューラルネットワーク(RNN)は、過去の情報を保持する能力を持つAIモデルの一種です。これは、シーケンスデータ(例えば、文章や音声などの時間的な順序を持つデータ)を処理する際に特に有用です。RNNは、前の時間ステップの出力を次の時間ステップの入力として使用することで、情報を時間を通じて伝播させることができます。

しかし、RNNは長期的な依存関係を学習するのが難しいという問題がありました。これは、情報が時間を通じて伝播するときに、その情報が次第に消失してしまうためです。この問題を解決するために、長短期記憶(LSTM)というモデルが開発されました。LSTMは、情報を長期間保持する「メモリセル」という概念を導入し、情報の消失を防ぐことができます。

そして、トランスフォーマーが、AIの言語処理モデルの進化の一部として登場しました。それは、長短期記憶(LSTM)というモデルの問題点を解決するために開発されたものです。

LSTMは、情報を長期間保持する能力を持つ一方で、計算量が大きいという問題がありました。また、シーケンスデータを順序通りに処理するため、並列化が難しく、訓練時間が長くなるという問題もありました。

これに対して、トランスフォーマーは「注意メカニズム」を導入し、全ての単語を同時に考慮することで、これらの問題を解決しました。

注意メカニズムとは、人間が会話をするときの行動を模倣したものと考えることができます。例えば、あなたが大きなパーティーに参加していて、たくさんの人々が同時に話しているとします。しかし、あなたの友人があなたに話しかけているとき、あなたはその友人の声に「注意」を向け、他の人々の声は背景ノイズとして無視します。このとき、あなたの脳は「注意メカニズム」を使っています。

同様に、トランスフォーマーの注意メカニズムも、特定の情報に重点を置き、他の情報は背景として扱います。例えば、文章を生成するとき、トランスフォーマーは「犬がボールを追いかける」という文を考えます。このとき、「追いかける」は「犬」に関連しています。したがって、「追いかける」を生成するとき、トランスフォーマーは「犬」に「注意」を向けます。

このように、注意メカニズムは、関連性の高い情報に焦点を当て、関連性の低い情報を背景にすることで、それぞれの各単語が全文章内のどの単語と関連性が高いかを考慮することを可能にします。これにより、文脈全体を考慮した単語の理解が可能になり、より自然な文章の生成が可能になりました。

また、トランスフォーマーは全ての単語を同時に処理するため、計算を並列化することが可能です。これにより、訓練時間が大幅に短縮され、大規模なデータセットに対しても効率的に学習を進めることができます。

そして、トランスフォーマーのアーキテクチャをベースにしたモデルとなるGPT(Generative Pretrained Transformer)が、AIの言語処理技術の進化の一部として登場しました。GPTは、自然言語処理(NLP)のタスクにおいて、より高度な性能を発揮するためのモデルで、大量のテキストデータから学習を行います。GPTは、与えられた文脈から次に来るべき単語を予測するというタスクを学習することで、自然な文章を生成する能力を獲得します。GPTは、その強力な生成能力と汎用性から、多くのNLPタスクにおいて優れた性能を発揮します。

トランスフォーマーは、元々は主に翻訳タスクを行うために使われていました。このモデルは、ある言語の文章を別の言語の文章に変換するというタスクを通じて、文章の構造を理解し、新たな構造を作り出す能力を獲得しました。例えば、日本語の文章を英語の文章に変換するといったタスクです。

しかし、このモデルの能力は翻訳だけに限定されません。同じ言語内での変換も可能です。つまり、日本語の文章を別の日本語の文章に変換することもできます。これは、例えば文章のスタイルを変える、あるいは文章を要約するといったタスクに応用することができます。

しかし、トランスフォーマーの性能は、どのように問いかけるか、つまり「プロンプトエンジニアリング」に大きく依存します。プロンプトエンジニアリングとは、AIに対する問いかけ方を工夫することで、より良い結果を得るための技術です。適切なプロンプトを設定することで、トランスフォーマーはより高品質な結果を生成することができます。逆に、プロンプトが不適切だと、生成される結果も質が低くなる可能性があります。

トランスフォーマーとGPTの発展は、AIが人間のように自然な文章を理解し、生成する能力を大幅に向上させました。これにより、AIはより自然な対話を行うことが可能になり、人間とのコミュニケーションにおいてより有用なツールとなったと言えます。

発想推論の逆を行う逆問題とは

トランスフォーマーは、元々自然言語処理のタスクに使われていましたが、その後、その技術は画像認識の分野にも拡大され、ビジョントランスフォーマー(ViT)という新たなモデルが生まれました。

従来の画像認識のモデルは、主に畳み込みニューラルネットワーク(CNN)を使用していました。しかし、ビジョントランスフォーマーは、このCNNに依存する必要はないと示しました。ビジョントランスフォーマーは、画像を小さなパッチに分割し、それらのパッチをトランスフォーマーに入力として与えることで、画像認識タスクを行います。

このアプローチにより、ビジョントランスフォーマーは、大量のデータを前処理し、それをさまざまな画像認識のベンチマークに適用することで、優れた結果を達成しました。これは、最先端のCNNモデルと比較しても優れた性能を示し、訓練に必要な計算リソースも大幅に少なくなりました。このように、トランスフォーマーの技術は、自然言語処理から画像認識へとその適用範囲を広げ、AIの可能性をさらに拡大しました。

そして、画像生成のためのオープンな人工知能モデルとなる「Stable Diffusion」が登場し、ブームを巻き起こしました。この「Stable Diffusion」の特徴的な点は、画像生成プロセスが「拡散」の概念に基づいていることです。拡散とは、物質が均一に広がる現象を指します。この技術では、ランダムなノイズから始まり、そのノイズが徐々に「拡散」して目的の画像になるように学習します。この技術は、元々は物理学や数学で用いられていた拡散の概念を、画像生成の問題に応用したものです。データの分布を時間的に進化する確率過程としてモデル化し、その過程を逆向きにシミュレートすることで新しいデータを生成します。このモデルは、特に高品質な画像生成に成功しています。

これらの技術を組み合わせることで、「猫」という言葉から猫の画像を生成することが可能になります。具体的には、言語情報(ここでは「猫」)を入力し、それを画像のパターン情報に変換します。その後、このパターン情報をStable Diffusionモデルに供給し、猫の画像を生成します。

このように、過程を逆向きにシミュレートすることで新しいデータを生成する推論方法を、一般的に「逆推論」または「逆問題」と呼びます。逆問題とは、観測結果からその原因を推定する問題のことを指します。この場合、観測結果は「猫」という言葉であり、その原因(つまり、その言葉が指す対象)を推定することが目的となります。このようにトランスフォーマーという技術の発展により、AIは逆問題のアプローチをとる事が出来るようになったと言えます。これは言語から言語はもちろん、あらゆる種類の情報においても同様の事が行えると考えられます。

発想推論は、既存の情報や知識を元にして新たなアイデアや解決策を見つけ出すプロセスです。この方法では、与えられた問題や目標に関連する情報や知識を網羅的に考え、関連性や類似性を見つけ出すことが重要です。発想推論では、問題を解決するための新しい方法や視点を見つけ出すことに焦点が置かれます。これにより、既存のアイデアや解決策にとらわれず、創造的な発想を促すことができます。

一方、逆問題は、与えられた解決策や結果に基づいて、それがどのような問題や条件から導かれたのかを考えるプロセスです。逆問題では、望ましい結果や解決策から逆算して、その結果を達成するための条件や要素を特定することが重要です。この方法では、目標や解決策に到達するための道筋を考えることで、問題解決のプロセスを逆に辿ることができます。逆問題のアプローチは、既存の解決策や結果を分析し、問題の本質や要素を洞察するために有用です。

発想推論と逆問題は、問題解決や新たなアイデアの生成において異なるアプローチを提供する思考のプロセスです。発想推論では、与えられた情報や知識から新たなアイデアを生み出すことが重視されます。一方、逆問題では、望ましい結果や解決策に向かうために問題の本質や要素を追求することが重要です。

そして、発想推論というアプローチの逆問題を解くことにより、望ましい結果を得るために必要な情報と知識が人間に与えられます。それは人間が行っていた情報から知識への変換を行わずして、人間が言語化された知識を獲得することが出来るのではないかと考えられます。

さらに、その発想推論の逆問題を解くことが出来るなら、自分が望む未来になるための…自己実現を行うための問題解決についての解が得られるため、現実を理想のものに変えていく事が可能になると言えるでしょう。

このような社会になってしまうと、人間はいったい何をすれば良いのでしょう?

推論のプロセスと日本の教育の特徴

論理思考や推論のプロセスに関連する概念として演繹推論、仮説推論、帰納推論があります。

演繹推論(Deductive Reasoning)は、一般的な事実から特定の事例について結論を導く推論法です。前提が真であれば、結論も必ず真となります。これは論理学の基本的な原則であり、答えが一つに決まっています。例えば、パンは小麦から作られるという前提があります。その上で、Aさんは小麦が原料の食品はパンだけだと学校で習いました。Bさんも同じ学校で同じ教育を受けています。したがって、BさんもAさんと同じく小麦から作られる食品はパンだけだという結論が導きだされます。

仮説推論(Hypothetical Reasoning)は、特定の仮説を立てて、その仮説が真であると仮定した場合の結果を推論する方法です。仮説が真であるかどうかは、実験や観察によって検証されます。例えばある人がレストランに入っていて、店内が賑やかで料理が美味しそうな匂いがするのを感じました。彼は以前に同じレストランで食事をした経験があり、その時は料理がおいしかったことを覚えています。彼は仮説を立てることができます。「今日の料理も美味しいに違いない」と。

帰納推論(Inductive Reasoning)は、特定の事例から一般的な法則やパターンを導き出す推論法です。観察や実験によって得られたデータから、より広範な結論を導き出します。例えば、ある日、ジョンが公園でアリスと会ったとします。ジョンが公園で石を投げると、鳥が飛び立ちました。その後、アリスが同じ場所で石を投げると、再び鳥が飛び立ちました。これを何度か繰り返した結果、ジョンとアリスは共通の原因(石を投げること)が同じ結果(鳥が飛び立つ)を引き起こすことを観察しました。彼らは帰納的に推論することができます。「石を投げると、鳥が飛び立つのだ」と。この例では、観察された原因(石を投げること)と結果(鳥が飛び立つ)のパターンを通じて、帰納的に一般的な結論(石を投げると鳥が飛び立つ)が導き出されます。

日本の教育システムは、一般的には演繹的な思考を重視しています。これは、生徒が与えられた情報から論理的に結論を導き出す能力を養うことを意味します。しかし、このアプローチは、生徒が自分自身のアイデアを形成し、創造的な問題解決を行う能力を制限する可能性があります。そして、人間社会では多様性や複雑性が存在しますので、特定の答えを持たない問題が多く存在し、その問題解決には創造的な思考が必要となると言えます。

「複雑性への対応」を考えてみましょう。演繹推論は論理的な結論を導くために前提となる情報を必要としますが、現実の問題や課題はしばしば複雑で不確実な要素を含みます。仮説推論や帰納推論は、不完全な情報や不確実性を扱い、複雑な問題に対しても適用可能な手法です。これにより、現実世界の多様性や複雑性に柔軟に対応することができます。

「多様性の尊重」も非常に需要な要素です。人間社会では多様な価値観や意見が存在し、異なる主観や環境から生じる解釈や結論が存在します。演繹推論は絶対的な論理に基づいて結論を導くため、個人や集団の主観的な要素を無視する傾向があります。一方、仮説推論や帰納推論は、個人や集団の主観や環境を考慮に入れ、多様な解釈や結論を導くことが可能です。これにより、個人や集団の多様性を尊重し、包括的な意思決定や問題解決が行われます。

「新たな知識の発見」は人間が進化する上で必要な要素です。仮説推論や帰納推論は、与えられた情報から新たな知識や仮説を発見するための手法です。これにより、既知の情報や事実に基づいて新たな洞察や発見が可能となります。演繹推論は既知の情報から論理的な結論を導くことに重点が置かれますが、仮説推論や帰納推論は未知の領域への探求や発見を促進します。

「環境の変化への適応」の重要さについては、もう説明不要でしょう。現実の世界は変化し続けています。環境の変化に対して演繹推論は固定された前提とルールに基づいて結論を導くため、環境の変化に柔軟に対応することが難しい場合があります。一方、仮説推論や帰納推論は、新たな情報や観測結果を取り入れながら環境の変化に適応し、柔軟な推論を行うことが可能です。これにより、変化する社会や技術の中で、迅速に新たな洞察や解決策を見つけ出すことができます。

最後は「クリエイティブな問題解決」です。演繹推論は既存の情報やルールに基づいて論理的な結論を導くことに特化しています。しかし、創造性や革新的な問題解決には、既存の情報やルールにとらわれず、新たなアイデアやパターンの発見が必要です。仮説推論や帰納推論は、既知の情報からの脱却や新たなアイデアの創出に適した手法です。

以上のように、日本の教育システムは、生徒の創造性や問題解決能力を高めることが求められ、演繹的な思考だけでなく、帰納的な思考や仮説的な思考を養う教育方法を取り入れることが必要になると言えます。さらにAIが普及する未来では、論理的な問題はAIが代わりに行う事が可能になると予想されますので、創造性や革新的な問題解決というスキルがますます重要になると予想されます。

AI時代の仕事と教育について

AIの進化と普及は、私たちの生活、職業、そして教育に革新的な変化をもたらしています。かつては、大量生産のために特定の仕事を繰り返し行う能力が求められていました。しかし、AIの時代になり、多種多様な商品を少量生産する時代に移行しています。この変化は、私たちが教育に求める能力にも影響を及ぼしています。AIは単純な作業を自動化し、人間が行っていた仕事を奪っていきます。これにより、特定の職業に従事する人々がAIの進歩により必要性が低下する可能性があります。これは技術進歩の一環であり、歴史的にみて人類が直面した数々の技術変革と同様の問題です。しかしながら、これはAIと共に働く新しい時代の到来を示すものであり、その過程で生じる変化への対応が求められます。この新しい時代では、AIがまだ補完できない、人間固有の能力が求められます。それらの能力を育むことで、AIが普及していく未来社会に適応することが可能となります。

人間は自分が苦しんで習得した能力に対して、それが社会に認められる事を期待します。しかし、AIの普及という時代の変化とともに、苦労して習得した能力が不要となっていくことは多いと思います。そうなった場合、AIを否定し、社会に対して自分の苦労は必要であると認めさせ、時代の変化に逆らう人々も出てるでしょう。この過去の仕事に固執した人々の影響により、新たな能力を学ぶ機会を逃す人々が出てくる可能性につながるかもしれません。

したがって、AIの普及は教育の変革を必要とします。その変革は、創造性と問題解決能力の育成、そして多様性の尊重に焦点を当てるべきです。これらの能力を育てることで、私たちはAIと共に働く未来に適応し、新たな価値を創出することができるでしょう。

AIが発想推論の逆問題を解く能力を持ったとき、我々はどうすれば良いのかという話をしました。これがどういうことかと言うと、AIが人間の思考やアイデアを理解し、それを元に未来の道筋を示す能力を持つようになるという事です。このような状況において、人間に求められる能力はどのようなものになるのでしょうか?以下のようなものであると考えられます。

まずは、「クリティカルシンキング(批判的思考)」が考えられます。AIが提供する情報や解を鵜呑みにせず、自分自身でその妥当性を評価し、必要に応じて質問や反論をする能力が重要になります。これは、AIが完全に正確であるとは限らないためです。

「創造性とイノベーション」はもちろん重要です。 AIは既存の情報から新しいアイデアを生成することができますが、それはあくまで既存の情報に基づいています。人間の創造性やイノベーションは、未知の領域に踏み込むことができるため、AIが到達できない新たなアイデアを生み出すことができます。

そして「感情的な理解と対人スキル」です。AIは論理的な思考を行うことができますが、人間の感情を理解することは難しいです。人間の感情や感覚を理解し、それに基づいて行動する能力は、人間にとって重要なスキルです。

これらの能力を育成するためには、教育が重要な役割を果たします。教育は、知識を伝えるだけでなく、思考力や問題解決能力を育てる場でもあります。具体的には、ディスカッションやデバートを通じてクリティカルシンキングを鍛えたり、創造的なプロジェクトを通じて創造性やイノベーションを育てたり、グループ活動を通じて対人スキルを鍛えるなどの教育方法が考えられます。

生成AIが導く未来とは

近年、人工知能(AI)の急速な進歩と普及により、私たちの生活や社会は大きく変化しました。AIは、様々な領域で人間の能力を補完し、あるいは超えることができるようになりました。この進化は、労働市場においても大きな影響を与えています。AIと働くことは、ますます一般的になりつつあり、私たちの働き方や職業の将来に新たな展望をもたらしています。

AIと働く未来について考えるとき、私たちは新たな視点と考え方を必要とします。AIの進化と普及は、私たちが働くという概念を根本から変える可能性を秘めています。それは、人間が単純な労働から解放され、より創造的で意味のある活動に時間とエネルギーを注ぐことができるようになるという未来を示しています。

AIが仕事を奪うという表現は、一部の視点から見れば正しいかもしれませんが、それは一面的な見方です。AIは、単純作業や時間がかかる作業を自動化することで、私たちがより高度な作業に集中できるようにします。これは、私たちが自分自身の能力を最大限に活用し、自分の仕事に対する満足感を高める機会を提供します。

生き甲斐がなくなるという懸念についてですが、これは働くことが生き甲斐の唯一の源であるという前提に基づいています。しかし、人間の生き甲斐は多様で、それは必ずしも働くことだけに限定されるものではありません。AIの普及により、私たちは自己啓発、芸術、スポーツ、旅行、ボランティア活動など、自分自身の成長と社会貢献により多くの時間を費やすことができるようになります。

AIの進化は新たな職業を生み出す可能性もあります。例えば、AIのエチックスに関する専門家、AIの教育者、AIと人間のインターフェースデザイナーなど、これまでにない新たな役割が生まれるでしょう。これらの新しい職業は、人間の創造性と対人スキルを必要とするもので、AIには再現できない価値を提供します。

AIが普及した未来では、収入の概念も大きく変わる可能性があります。現在、社長が社員よりも収入が高いという現象は、企業の経営者がリスクを負い、ビジネスを成功させるための報酬として収入が高いという経済原理に基づいています。しかし、AIが社会実装された世界ではこの経済原理が変わるかもしれません。AIが社会実装される事により人間が行っていたリスクを負う役割が減少し、結果として社長の収入が下がる可能性があります。一方で、AIの普及により、人間の労働が必要とされなくなる職種も出てくるでしょう。その結果、社員の収入も下がる可能性があります。

このような状況下で、お金のない社会が実現できるかという問いについて考えてみましょう。ベーシックインカムという制度は、全ての人に一定の収入を保証するものですが、これまでの試みは概ね失敗しています。その理由としては、ベーシックインカムの資金源の確保や、人々の働く意欲を維持する問題などが挙げられます。

しかし、AIが普及し、人間の労働が必要とされなくなる未来では、ベーシックインカムのような制度が必要となるかもしれません。そのため、AIの発展とともに、ベーシックインカムのような新しい経済制度の構築が求められるでしょう。

それらが進んだ世界…お金のない社会を実現するためには、AIの発展だけでなく、経済制度の大きな変革が必要となるでしょう。そして、その変革を成功させるためには、人々の働き方や収入の概念に対する理解を深め、新しい価値観を育てることが重要となるでしょう。

「冒険の書    AI時代のアンラーニング」という本があります。この本は孫泰蔵氏がAIとの関わりを通じて抱いた80の問いを基に、新たな視点と洞察を提供しています。そして、AIが普及した未来を前提に、人間がどのように生きるべきか、どのように学ぶべきかという問いを探求しています。この本の中で孫氏は、AI時代には「無理やり詰め込む知識」や「仕方なくやる仕事」はAIに負けると述べています。また、才能や能力は迷信で、AI時代には意味がなくなるとも指摘しています。そして、学びにも仕事にも「遊び」を取り戻すことが大切で、イノベーションは論理的思考では生まれないと語っています。

これらの視点から、孫氏は「勉強なんかしないで楽しいことだけすれば良い」という考え方を支持しているように見えます。しかし、それは単に勉強を否定するのではなく、AI時代に適応するための新たな学び方、生き方を提案しているのです。

では、AIが普及した未来において、私たちはどのように生きるべきなのでしょうか。孫氏の提案は、「遊び」を取り戻すこと、そして「アンラーニング」、つまり学んだ知識や成功体験を捨てることです。これは、新しい情報や状況に対応するために、古い知識や経験が邪魔にならないようにするための戦略です。このような視点から見ると、AI時代には「楽しいことだけをする」という生き方が可能になるかもしれません。しかし、それは単に楽をするためではなく、新しい時代に適応し、自分自身を成長させるための戦略と言えるでしょう。

AIが仕事を奪った後の時代は、私たちが働く以外の新たな価値観を見つける機会を提供します。それは、私たちが自分自身の能力と情熱を追求し、社会に貢献する新たな方法を見つける機会です。AIと働く未来は、私たちが自己実現と社会貢献を同時に達成するための革新的な道を切り拓く可能性を秘めています。

そして、それは自己実現と社会貢献を同時に達成しながら「楽しいことだけをする」という生き方をして、さらに自分自身をも成長させる事が可能となる…生成AIの先にあるもの…それは、皆が幸せになれるという、新しい時代の到来を意味しているのではないでしょうか?

心からそう願います。
"Our radiant future harmonizes with AI"